アオギリ二世
被爆アオギリ二世
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、人類史上初の原子爆弾が広島市中心部の上空約600mで炸裂しました。強烈な熱線と爆風、放射線により、街は一瞬のうちに破壊され、約14万人もの生命が奪われました。爆心地から2km以内のほとんどの建物は全焼し、多くの樹木も焼き尽くされましたが、被爆の惨禍を生き抜いた樹木や、焼け焦げた樹木の株から再び芽吹いた樹木が、現在でも被爆樹木として爆心地から半径2km以内に約150本残っています。
この被爆アオギリ二世の親木のアオギリは、爆心地から北東1.3 kmにある旧広島逓信局(広島市中区東白島町)の中庭で被爆しました。爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、焦土の中で青々と芽を吹き返し、被爆者に生きる希望を与えました。その後、このアオギリは昭和48年(1973年)に平和記念公園内に移植され、今でも樹皮が傷跡を包むようにして成長を続けています。被爆アオギリ二世は、このアオギリの種から育てられたもので、「平和を愛する心」、「命あるものを大切にする心」を育み、平和の尊さを伝えるとともに、過ちを再び繰り返さないよう、被爆の実相を後世に伝えます。
被爆樹木2世の苗木配布は、平和首長会議と連携して実施しています。 |
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